橋本不二子 卸価格で販売しています |
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
橋本不二子 略歴 1935年神奈川県生まれ。子供の時期を逗子の海岸近くに過ごす。周りは別荘が多く、 ペンキ塗りの白い洋館、 白いサンルームのある家、伸びた草の中にディジーやパンジー が咲く広い庭。そして、真夏の光を浴びて咲く 白やローズ色の夾竹桃。それらは夢想の 手がかりとなりながら、その美しさは自分のものにすることは出来な いという、悲しみ 焦ら立ちの感情となって、現在に至るまで忘れることの出来ない印象を残す。 文化学院美術科卒業、何を、どのように描いたら良いのかが解らず、画家になりたいと いう夢を失う。そして、 グラフィックデザイナー大智浩に師事。印刷インクの透明な色 の美しさと広告を作るという明確な目的に魅力を 感じる。 広告代理店に勤務後、バウハ ウス運動を継承する、チューリッヒ市立応用美術学校グラフィック科に留学し同 科主任 教師でデザイナーの、ミュラー・ブロックマンの構成理論を学ぶ。 1960年結婚。フリーランス・デザイナーとして三菱造船、外務省、パン・アメリカン 航空などの、広告印刷物のデ ザインをする。その間に子供は四男一女となる。仕事、育 児、家庭内の老人介護が主なテーマとなり、その全 体を自分の手でバランスよくやって いこうと思い、児童絵画教室、パンフラワー教室主宰、カトリック教会広報デ ザインな ど家に居て出来ることをするようになる。 1985年三男事故死。道端の草の木々の緑から、大きな慰めと心の平安を受けていると 感じる。そして、絵は自 分の描きたいものを、描きたいように、自由に描けば良いのだ と気付き、ふたたび絵を描きはじめる。 以後、自 然のままの姿を残す野草や木の実などを描く、水彩素描画家として制作活動を 続けている。主なテーマは「野 生との共生」。 個展は、銀座三越ギャラリー、アメリカンクラブ、スぺリオホーム浜田山、自宅アトリ エ展、銀座プランタンなど多 数。 |